シャロムの部屋

もうだいじょうぶ!「自分や子どもを責めてきた」ママたちへ。自己受容と聖書から子育てのヒントを得るコラム

Doing評価のクセ

神さまに対してもDoing評価

ママに与える愛』を書いて以来、DoingとBeingについて考えています。

Doing は、おこない、スキル、テクニック、態度など。
成果や目的の達成度がはかりやすいものでもあります。

それとは逆に、Beingは存在そのもののこと。
何をするとかしないとか関係なく、ただ命をもってそこに在るという状態。

私たちの多くは Doing によって評価されて生きています。

親切にしたらほめられる。モノを壊したら怒られる。学校に入ったら成績で評価される。試験の合否で進路が決まる。その評価基準は社会人になってもずっと続きます。

このように、ことあるたびにDoing によって評価されてきたために、他者に対しても自分に対しても Doing で評価することが一般的な判断基準になっていることが多くあります。

とはいえ、私たちはBeing を過小評価しているわけではないと思います。
ただ、「その人がそこにいて当たり前」「その子がそこにいて当たり前」
そういうことはあまりにも大前提であえてそれを話題にしないだけなのだと思います。

でも話題にしなさなすぎて、良い Doing  がある場合に Being を認めたり、その人がいなくなってようやくその存在の尊さに気づく、という感じなのではないかと思います。

さて、最近私が気づいた一番大きなことは、 Doing 評価は自分や他者にとどまらず、神さまに対しても同じように考えている人が多いということです。

神さまが〇〇してくれたから、私も〇〇する。

神さまが〇〇してくれるなら信じる。
〇〇してくれないなら信じない。

神さまがいるなら〇〇してくれるはず。
神さまがいるならこんなことにはならないはず。

これらすべてはDoing基準で神さまを評価していると思いませんか?多くの人の神観がこの土台の上にあると思います。信仰を持っているとか持っていないとかにかかわらず、これは私たちにしみついた「評価のクセ」なのかもしれません。

神さまのBeingを見る

以前、このような記事を読んだことがあります。
ナチスドイツの占領下、ゲットー(ユダヤ人居住区)に追い込まれたユダヤ人集団の中にユダヤ教の宗教指導者がいました。

ある人が彼に尋ねました。
「神さまに助けてくださいと祈らないのですか?」

彼は答えました。
「そのようには祈りません。私たちがこの状況から助け出されようと助け出されまいと、神が神であることに変わりません。私はその神をほめたたえるだけです。」

信じがたい答えでした。理解できませんでした。命の危機迫る中にあって「助けてください」と祈らないなんて!

でも、Doing と Being について考えているうちに、この人は神さまの Being を求めていたのだということがわかりました。そして聖書のあることばを思い出しました。

旧約聖書の出エジプト記3章14節。
神さまがモーセにあらわれたとき、ご自分の名はこうだと言われたときの場面です。

「わたしは『わたしはある』という者である。」(新改訳)

「我は有て在る者なり。」(文語訳)

「I am who I am.」(英語NIV訳)

どれも同じ個所ですが、他にもいろんな訳し方があります。これというひとつの翻訳や解釈ができないほど神さまは人間の想像や理解を超えた存在なのだと思います。

私はこの箇所がなかなか理解できませんでした。なんとなくはわかっても、比較できる対象が他にないので、たとえばこういうことだよとうまく説明することもできませんでした。

そう、今回はうまく説明できない話です。だからまとめることができません(笑)。

しかし、Being と Doing を思いめぐらしていたら、神さまとは、Beingのかたまり、存在そのもののかたまり、何をしてくれるとかしてくれないとか関係なく、常にそこに命をもって「在る」お方だと思うようになってきました。

クリスチャンでも、すばらしいお方だという神さまの Being は大前提としているゆえ、その部分はそこそこに言葉にするだけで、あれをしてください、これをしてくださいと Doing をメインに祈ることが多々あります。私自身もそうでした。

神さまが私たちのためになされた最大の Doing は、すでにイエス・キリストを通して十字架の上で完了しました。それによって与えられる恵みは私たちに十分注がれてあまりあるほどだと聖書に書いています。

だからあらゆる思いわずらいを神さまにゆだねて、私たちは神さまのBeingをほめたらいいんじゃないないかな~と思います。

(注)ここに書いている内容は私の個人的な考えです。個々の信仰の解釈と合致するとは限らないことをご了承くださいませ。