シャロムの部屋

もうだいじょうぶ!「自分や子どもを責めてきた」ママたちへ。自己受容と聖書から子育てのヒントを得るコラム

赤と緑のクリスマス

キリスト不在のクリスマス

クリスマスの時期が近づいてきましたね。

クリスチャンになったのは20代半ばですが、小さいころからずっとクリスマスが大好きでした。

サンタクロースが持ってきてくれるプレゼントはもちろんのこと、街中がウキウキしていたり、イルミネーションが華やかだったり。

リビングには小さめのクリスマスツリーを毎年飾り、高校生くらいからは自分の部屋をクリスマスデコレーションしたりして楽しんでいました。

そして、いろんなアレンジのクリスマスソングの楽譜を買ってはピアノで弾いていました。
 ・ジングルベル
 ・赤鼻のトナカイ
 ・サンタが町にやってくる
 ・ホワイトクリスマス
他にもクリスマス系の歌謡曲など…

敬遠していたのは讃美歌。
ゆいいつ、『もろびと こぞりて』は明るい雰囲気で耳になじみはありましたが、その意味を考えるようになったのはずいぶん後でした…。

当時、私のクリスマスにはメインキャストなるイエス・キリストは不在でした。信仰をもっていなかったので、楽しい雰囲気を味わえたらそれで十分でした。

さすがに今はイエス・キリストが登場しないクリスマスソングは物足りなくなり、好んで弾いたり聴いたりすることは、ほぼありませんけどね。

クリスマスカラー

おしゃれなクリスマスツリーがたくさんあります。
 ホワイト系
 ゴールド系
 シルバー系
 ブルー系
 ピンク系

でも、やっぱりオーソドックスなの組み合わせが一番大好き!
このふたつは反対色で見た目にも映えるし、この色を使うことにクリスマスの深い意味があるからです。

は十字架で流されたイエス・キリストの「血」。
は、ひいらぎやもみの木は冬でも枯れない常緑樹で「永遠のいのち」を表しています。

てっぺんの星は、東方の博士たちを導いたベツレヘムの星。その星の真下におさなごイエスがいました。この博士たちは黄金乳香没薬(もつやく)をたずさえてきました。これが、世界で最初のクリスマスギフト。

黄金は、王位の象徴。キリストがすべてを治めるであるということ。

乳香は、礼拝の象徴。祈りをささげる対象・であるということ。

没薬は、死の象徴。全人類の罪を十字架であがなう救い主であるということ。

誕生のお祝いに黄金と乳香はいいとしても、葬りのための没薬(死体の防腐剤)を贈るというのはおかしいですよね。現代風にいうなら、出産祝いに棺桶を贈るようなものでしょうか?なんて非常識な…ですよね。

でもこの死と埋葬を連想させる没薬こそが、クリスマスをクリスマスたらしめるものなのかもしれません。

まさに、おさなごイエスは十字架で死ぬために生まれてきました。どうして?

私たちを救い、永遠のいのちを与えるためです。どうして?

天の父なるお方と永遠にともに過ごすためです。

もうひとつのクリスマスカラー、は「罪のあがない」「きよめ」を表します。北海道の冬は雪で真っ白になります。雪かきは大変ですが、そういうときはいつもこの聖書箇所を思い出しながら、自分を励ましています。

「たとえ、あなたがたの罪が緋(ひ)のように赤くても、雪のように白くなる。(イザヤ1章18節)

天然の染料で染められた緋色の布はどんなに洗っても色が抜けることはありません。同じように、私たちの罪の性質も、自分の努力や苦行・修行でどうにかなるものではありません。神さまだけがその罪をきよめ、洗い流すことができます。そのことを信じ、感謝をささげながら雪をかくとそれもまた楽しい時間に変わります。

ワクワク感

信仰をもっていない頃は、クリスマスにかこつけてパーティーをしたり楽しんでいましたが、信仰をもつようになってからしばらくの間、私のクリスマスの過ごし方はどんどん質素になっていきました。

表面的な飾りや楽しみよりも、心の中でクリスマスを味わいたかったからです。クリスチャンとしては毎日がクリスマス(降誕祭)とイースター(復活祭)だと思い、あえて普段通りに過ごしていました。

しかし、子どもが生まれてからは、「クリスマスは楽しい」という雰囲気を味わえるように飾りつけをしたり、人を招いてパーティーなどをしてきました。

今年も部屋を飾り、家族だけのパーティーをしようと思っていますが、これまでとはなんだか違います。

この1年間、本当に神さまの愛をたくさん味わいました。それはこのブログに綴ってきたとおりです。悩み苦しみ、傷つき、傷つけ…その中に神さまの大きな慰めがありました。それらを通して、心の底に揺るがない安らぎや静かな喜びが絶え間なく流れています。

ところで、私たち夫婦はモノよりも食べるほうが好きなので、誕生日や記念日にモノを買うことはないのですが、今年のクリスマスは自分にも夫にもそれぞれ欲しいものを買って用意しました。

どちらも自分のために選んだのは生活雑貨です。今持っているものは古いけど使えるしわざわざ買い替えなくてもいいんだけど、新しくなったら嬉しいな~と思うようなもの。そういうのってなかなか買い替えるタイミングがありませんよね。だからこそ、です(笑)

サプライズでもなんでもないのですが、それでもあえて「クリスマスプレゼント」にしたほうが楽しいはず!

これが私の中ではけっこう効果的なんです。大事なのはプレゼントの中身ではなく、包装されたプレゼントをあけるワクワク感を自分に味わわせることが第一の目的。あけるのは12月25日の朝までおあずけなので、そのワクワク感は1ヶ月以上続くことになります。

こういうワクワク感を大切にすることは、感性を大切にすることになります。感性を大切にすると、喜びのセンサーが発達して敏感になります。そうすると、日常の小さなことに喜びを見つけたり感謝する機会が増えると思いませんか?

そういう生き方が、神様が与えたいのちの生き方なのかなぁ~って思います。

(注)ここに書いている内容は私の個人的な考えです。個々の信仰の解釈と合致するとは限らないことをご了承くださいませ。