シャロムの部屋

もうだいじょうぶ!「自分や子どもを責めてきた」ママたちへ。自己受容と聖書から子育てのヒントを得るコラム

明日でなく、今日ほどこす愛

幼稚園やすみたい

今日、娘が約10日ぶりに幼稚園に行きました。上の息子が不登校になって6か月が経ちました。数日前の朝、ふたりで遊んでいて、登園時間になったら、大粒の涙をポロポロ流して「わたしも幼稚園やすみた~い」と泣きました。「なんでおにいちゃんは学校に行かないのにわたしだけ⁉」ってなりますよね。

「このままふたりともずっと家にいるようになったらどうしよう?えいっ!その時はその時だ。まず私は今日のことを考えよう。とりあえずお昼ごはんは何にしようか?」
このように切り替えられるようになったのも、自己受容をしてきた効果だと思います。ちょっとはイライラしましたけどね (⌒_⌒; )

あとから聞いたら、行きたくない理由はもうひとつ。体育発表会に向けてのなわとびの練習や本番当日がイヤなようでした。なのでひとまず、その日までは休むことにしました。

Doingを求めてる?

息子が通っていた頃の体育発表会では、平均台やマットで前転などは全員やりましたが、なわとびや天井からつるされているロープのぼりは、喜んでできる子だけが発表していました。

ところが、副園長が新しい先生にかわってから、保育の取り組み方が変化し、小学校準備のような雰囲気になってきました。「小学校にあがってから困らないように」とのことらしいですが、なわとび自体がいやになったら元も子もありません。保育だよりの内容も変わってきて、あれに取り組んでいる、これができるようになったという内容が増えてきました。

これってDoing(成果)を求めるやり方なんですよね。娘は、体を動かすことが好きで、強制されなければ縄跳びも楽しんでいたのに、「全員やらなければならない」という方針になったとたん、苦手意識が芽生えてイヤになってしまいました。

そういう私も子どもの頃はバリバリの「Doing幼稚園」に通っていました。鼓笛隊にはじまり、学芸会や運動会、年中は1泊、年長は2泊のお泊り保育(水泳学習)。でも苦労した記憶は全くありません。練習も楽しかったし、子どもだから他と比べることもないのでそのまま受け入れていました。

卒園アルバムを見ると華やかですが、もし今の私が子どもをそのような園に入れたら、衣装づくりやPTA行事が大変だろうなぁと身震いします(母親に聞いたら、とても大変だったそうです)。

そういう特色を打ち出している園だとわかって通わせるのはいいのですが、娘の場合は、全園児30人たらずの少人数制幼稚園だった息子の時代からガラリと変わりました。数年前から認定こども園になり、いまや0才児から年長児まで100人くらい、職員も倍以上増えました。

茶話会のようなクラス会もなくなり、クラス名簿の配布もなくなったので(園バス利用のためお迎えをすることもないので)親の顔はもちろん、子どもたちの顔も名前もいまいちわかりません。

明日でなく、今日会いにきてくれた

そんな激動のなか、今年度から新しく来られた担任の先生は、なわとびができていることを電話口でほめてくださりながらも、「無理しなくていいですよ」と、理解してくださいました。娘も体育発表会が終わったら行くと言っていたので、昨日、担任の先生が降園バスで立ち寄って下さり、「明日待ってるからね~!」と玄関先まで訪問してくださいました。

「明日」登園するとわかっているのに、わざわざ立ち寄ってくださるなんて愛があると思いませんか?もし、「明日」登園しなかったら、「明日」訪問しても全然問題ないですよね。それどころか訪問してもらわなくても疑問すら持ちません。でもこれが先生のBeing(ありかた)なんですね。そういう愛が人を育てるんだと思いました。

この先生は40年来、キリスト教系幼稚園で保育に携わっているベテラン保育士。去年まで別の園で副園長をされていました。よく笑いよく泣く、愛にあふれたクリスチャン先生です(実は私、十数年前に先生の娘さんと会っていたことがありました。さらに、先生のお孫さんと私の息子の名前が同じ、先生の結婚記念日と私の誕生日が同じという不思議なご縁があります)。

先生の愛の応援に背中を押されて、久しぶりなのにもかかわらず、今朝は何の躊躇もなく準備して登園しました。私の心までホッとさせてくださった先生に感謝です♪(^ ^♪