シャロムの部屋

もうだいじょうぶ!「自分や子どもを責めてきた」ママたちへ。自己受容と聖書から子育てのヒントを得るコラム

【目標達成&完璧主義】その心理は不足感?

新学期、子どもが反省を語る?

「まじめで心配性の人は目標達成思考や完璧主義になりやすい。そういう人は決して現状に満足することがない。自分が今のままでいいということに安心できないので、人々や物事に完璧さを求めることで、その心の埋め合わせをしようとする。でも、完璧というのは実現しえないので、目標を達成すべく、いつまでも完璧を追及せざるをえない。自分が自分自身をこれでいいと真に認めるまでは。」

なんだか固い文章ですみません(笑)。これは以前の私でした。

ところで、息子が学校をしばらく休んでの秋休み明けの初日、私と一緒なら朝から行けそうだったのでついていきました。後期の始業式なので、1時間目は体育館で全校朝礼。

高学年の児童が前期のねらい(目標)を達成して嬉しかったこと、できなくて残念だったこと、そして後期は必ずねらいを成し遂げたいなど、決意と反省をおりまぜて学年代表の数人が発表していました。

自己受容を学んでいる私は、これに違和感を感じました。「ねらいを書かせてはできなかったことを確認させるんだろうな。それも毎年、毎学期。」

前期の終了間際に、担任の先生から「後期のねらいを2~3つ書いて壁に貼りだすので、ぜひ書いてきてください」と言われていました。今を生きる子ども達が毎日毎日「6ヶ月後」を考えながら生きているでしょうか?

子どもたちは教室で書いた「早く走れるように」とか「苦手な計算をがんばる」とかいう目標以外にもいろんなことを見て感じて、楽しんで、ときには悲しんで総合的に成長していってるはずです。自分でも気づかないうちに。 

計画どおりではなかったけれど

・目標をかかげる
・ゴールをめざす
・将来のために今できることをする 

私はこれまで、このように目標を持つことや、計画を立てることはいいことだと思ってきましたし、なんの疑問もありませんでした。

いつかそのような未来を現実として迎えたいからこそ、人はがんばれるものですよね。サービスの向上、品質の向上。そういう志を持っている人がいるからこそ、私たちは快適な生活を送ることができているのは事実だし、きめこまやかさを追求するのは日本のすばらしい文化だと思います。

ですが私がここで言っているのはもう少し内面的なこと。

私はもともと将来に対して不安をもつタイプでしたが、その割に計画通りに実行するのが苦手でした。子どものころの夏休みの宿題の計画から始まり、年頭に思い描くその年の目標など、何回、計画を立てては挫折したかわかりません。とにかく、計画したとおりにコツコツやるのが苦手なのです。

でも大人になった今、計画通りに実行してこなかったけれど、それなりになんとかなっています。20年前、30年前には私が今このように生活していることは想像もできませんでした。

戻れるものなら、あの頃の自分に「そんなに心配しなくていいよ」「今を楽しんだらいいよ」と言ってあげたいです。 同時に、それをそのまま子どもにも言えたらすばらしいですよね。

とはいえ、学校に行っていない息子、なかなか家で勉強しない息子を見ると正直やきもきしてしまいます。あなたのお子さんがらそういう状態なら「そんなに心配しなくていいよ」「今を楽しんだらいいよ」と心から言えますか?(私の夫は息子に言っていました)

もし、言えないとしたら、どこかに子どもや自分に対して「条件」が隠れているかもしれません。

・学校に行ってたら…何をしていてもいいよ
・やることやってたら…遊んでいてもいいよ
・自分で稼いで食べていけるなら…勉強しなくてもいいよ、などなど。

正直、わたしはまだこういう「条件」を捨てきれていません。ありのままの自分を受容できたら、そういう子どものことも、ありのまま受け入れられるようになるんでしょうね。今のところは、「まだまだ条件つきで子どもを見てしまうんだなぁ。そういう段階なんだなぁ。」と自己受容しています。

今を見つめて今を生きる

学校では目標にむかって進むことがいいこととされます。だから学校教育でそのように育てられた多くの人は、大人になってもそのことに疑問を感じないのかもしれません。

でも、心の学びをすすめていくうちに、達成すること自体を目的とするその裏には「今に満足できていない」気持ちがあることに気づいてきました。現状に対する不足感、もしくは心の空虚感と言うんでしょうか。

冒頭に書いたように、不足感や空虚感があればあるほど、その埋めあわせに間にあう「達成」が必要になってきます。仕事であれ、家事であれ、子育てであれ、余暇を楽しむことであれ、休息を得ること自体も「達成」になりえます。

どのように測るかは、その行動に対して効率を求めているかどうか、で判断できると思います。

私は効率ばかりを考えてきました。効率よくやることは、時間を無駄にしないことであり、それは良いことだと思ってきました。たとえば、子どもを8時半に寝かせるためには、何時までにお風呂に入り、何時までにご飯を食べさせ、何時にはご飯支度を始めるべきか・・・と逆算していつも頭はフル回転。

ひとつひとつの内容に関しては、やり終えた感はあったかもしれません。でもその目標達成のために子どもをせかしたり、叱ったり、私も子どももぐったりで、楽しい気分ではないことが多かったように思います。

また、目的もなくぶらぶら散歩することなど、私にとってはそれこそ時間の無駄でしかありませんでした。かといって、健康のためにウォーキング!なんていうのもできませんが(^-^;)

家庭は学校ではありません。学校の時間割のように毎日規則正しくがんじがらめにする必要はないんですよね。

時間は限られています。無駄にしてはいけないかもしれません。でも、私が無駄と思ってきたその中に、そのときしか見ることができない子どもの笑顔がたくさんつまっていたような気がします。

「勉強しておかないと将来困るよ」なんて、不安にさせるような表現で将来のことを子どもに話すよりも、子どもが今楽しんでいることに共感したり、子どもの要求(甘え)を受け入れてあげる経験を増やしていったりして、「今に対する満足感」を与えるほうが、子どもは未来を楽しく生きているのかもしれませんね。