シャロムの部屋

もうだいじょうぶ!「自分や子どもを責めてきた」ママたちへ。自己受容と聖書から子育てのヒントを得るコラム

岩の上 と 砂の上、どちらに家を建てますか?

理想が分かれる夫婦ですが

息子が学校へ行かなくなり、半年。少しずつ元気になってきました。それでも、国語や算数など、学校教育で定められている学年相当の勉強をすすんですることはありません。そういう子どもに対しては、大きく分けてふたつの意見があります。

1. 家で好きなことばかりしていていいのか。その間に学校へ行っている子は勉強している。せめて、計算や漢字の練習はやるべきだ。

2. 心が回復するまで待てばいい。やりたくないのに勉強しても身につかないんだから。

このふたつのはざまで、不登校児をもつ親はおおいに揺れます。揺れる理由は、どちらの意見もよくわかるし、親なりに子どもを思っていろいろ吟味しているからではないでしょうか。

夫が外で働いていれば、母親はひとりで毎日、朝からずっとその子を見ているわけですから、「これでいいのかな」「本当に大丈夫なのかな」とわきあがる不安を抑え、時に戦い、時に圧倒されてしまうのです。(不安になる理由は、心のどこかで、「学校は行ったほうがいい」「勉強はできたほうがいい」という前提があるからなんですけどね。)

私はどちらかというと1の気持ちのほうが強く、夫は2です。だから、見守ったほうがいいと思いながらも1を主張してきましたが、ある時、「この子は私だけの子じゃない。夫の子でもあるんや。もし今、私が死んだら、夫は自分の方法(2の考え方)で育てるんやろな」と極端なことを想像しました。そして、「まぁ、それでもいいか。神さまがかならず良いように導いてくださる」と、最終的にはそこに落ち着くようにしています。

間取りごとなんてありえない

家を建てるとき、土台ができていった部分から部屋を作っていく…なんてことしませんよね。キッチンの土台ができたらキッチンを、ふろ場の土台ができたらふろ場をなんて、間取りごとに家を仕上げていくことはありません。土台全体をしっかりつくってから建てないと、いつかかならず崩れますよね。

広く長い目でみれば、私たちの人生も心の土台を築いたほうがいいんでしょうね。大学まで行ったのにひきこもり…、社会人になってからひきこもり…、中年になってから…というのも最近ではめずらしくなくなりました。

とはいえ、人生の土台は6才までにできあがるという話は知っていました。しかし、出産後、心身ともに一番疲れる最初の数年間は必死で、もともと自分自身の土台が築かれていないのに、「子どもの人生の土台を6年間で据える」なんて、とてもできませんでした。

息子が3才になったときは「まだ3年ある」
4才になったときは「あと2年で挽回できるか?」
5才になったときは「あと1年で間に合うか?」
6才になったときは「ついにその時がきてしまった」と思いました。

しかし今は、「何才からでもやり直せる!」その言葉を信じ、多くの人に励まされて、親子ともども人生の土台を築きなおしています。

岩=愛=愛されている実感

夫は常に愛することを求めている人です。だからわが子たちへの理想も「人を愛する人になってくれたらそれでいい」です。
「そのためには、自分は愛されているんだという経験(Being)をたくさんもつこと。だから、勉強しろとか、あれしろこれしろ(Doing)とあんまり言いたくない。」
「人は自分が愛されている、信頼されている、と信じることができればなんでもできるんだ。」と言います。

「岩の上に家を建てた賢い人」と「砂の上に家を建てた愚かな人」というたとえ話が聖書にあります(マタイ7章24~27節)。イエスのことばを人生の指針とする人は、その人生において倒れることはない、という意味ですが、イエスのことばの土台は愛にほかなりません。

岩の上と砂の上。あなたならどちらに家を建てますか?

すぐに流される砂の上ではなく、もちろん岩の上ですよね。愛の固い岩の土台があってこそ人生が豊かになるんでしょうね。

むずしい表現かもしれませんが、愛の土台って、結局のところ、「愛されているという実感」をどれだけ持っているかということだと思います。

ちなみに、愛することを求める夫の土台は、「イエスさまに愛されている」です。

机に向かわない息子はといえば、数日前から漢字の練習を始めました。興味のある元素記号の日本語名(銀、鉛など)からやったらどう?と私から提案しました。部首を変えたら別の字になるので、それも「ついで」に練習します。今のところ喜んでやっていて、その流れでくもんの算数の宿題もするようなりました♪(Doingをよろこぶ私?まだまだやな・・・)

(私が子どもの勉強に対して不安になる理由→勉強しなさいの裏側 もご一読くださいね)