シャロムの部屋

もうだいじょうぶ!「自分や子どもを責めてきた」ママたちへ。自己受容と聖書から子育てのヒントを得るコラム

【中古住宅】いやされきれなくてもいいや

先日、新聞の書籍紹介コーナーに『心を病んだらいけないの?』(斎藤環・與那覇潤/新潮社)というタイトルの本がありました。

斎藤環さん(精神科医)と與那覇潤さん(歴史学者)の対談で、香山リカさん(精神科医)の書評が以下のように載っていました。

「AIについての章が抜群に面白い。
昨今の「人間はAIに仕事を奪われる」という強迫観念から「人間のAI化」が目指されているが、斎藤さんはそれは
「健常者こそが『十全な人間』であり、全員がそれを目指さねばならない」という「根治主義」の類比で語る。
すると與那覇さんは自身の双極性障害にともなう重度のうつからの)回復の体験から、
「『(以前と)完全に同じ』に戻るんだ!と考えてしまうと(中略)かえって治らなくなってしまいますよね」と応じる。
何よりも大切にすべきは、多様な人間性への「同意なき共感」や「条件なしの承認」だという本章の結論は、この本全体の通奏低音にもなっている。」(北海道新聞2020年8月2日より)
※「同意なき共感」とは、「同意ではなく共感」という意味。例えば、死にたいという人に、死ぬことに同意はしないが、死ぬほどつらいことに共感すること。

 

この書評を読んで、「この世に生を受けたからには、あらゆるしがらみから解放されて、いや肉体的・物理的には苦しくても、心においては完全な自由と解放を得て生きることこそが幸いだ。そういう状態になって、そういう日を一日でも多く生きることが幸いだ。それが神さま自身の願いでありご計画だ。」と思い込んでいたことに気づきました。

 

長年、身体的な病が癒されますようにと祈ってきたにもかかわらず、治らないままこの世を去る信仰者もたくさんいます。

溺れている人を助けようとして逆に自分が死ぬこともあります。

土砂や津波に巻き込まれて死ぬこともあります。

癒されたいという願いがかなわず死ぬ。
善行をおこなったのに死ぬ。
災害は信仰あるなしにかかわらずその土地に住んでいたら巻き込まれる。

そういう人たちが、心が癒されるために自分の心と向き合っていたとしても人生半ばで、志半ばで死んでしまうとしたら、この世にあって完全にいやされることが本当に神さまのみこころ(ご計画)なのか?という疑問をうっすらと抱くようになってきていました。

 

そんなある日、夫がこんなことを言いました。
「戸建てに住むなら、新築がいいという人もいれば、中古でいいという人もいるし、マンションやアパートでいいという人もいる」と。

不動産業に携わり、住宅事情を知っている夫は、限られた資産で戸建てを買うなら中古のほうがいいという意見で、実際、私たちは6年前に、当時築19年の中古の戸建てを買いました。

なんとなく、マイホーム=新築と思っていた私は、当初、中古物件を買うことをためらいましたが、夫が言うには、かならずしも「新築=良い」というわけではないとのこと。

私たちが住んでいる地域では新築はメイン道路から外れていて、近くにコンビニやスーパーがなくて不便だし、返済も大変。でも、立地がいい中古は、事情があって売りに出さなければならなくなっても絶対売れるのだそうです。

買う前から、売るときのことを考えるなんて素人の私には考えが及びませんでしたが、マイホームを購入するということはその土地に縛られて一生生きなければならないのか、とか、何十年もローンを背負い続けるのか、など、常にマイナス思考だった私の心の負担は軽減されました。

夫が言いたかったのは、住む家も心の状態も、思い描く内容は人によって違うし、どの時点で現状に満足するか、どの条件で折り合いをつけるかは人によって違う。それぞれが導き出した答えは、その時その人にとってコレでよしと決めたことであり、他人がとやかく言う必要はない。現状に不満を抱いて新しくきれいな家に移り住むことばっかり考えるより、しみも傷もある今の家でどうしたら楽しく過ごせるかを考える方が気持ちがラクになる人もいるんじゃないかな、と。

それを聞いて、これまで、「心が癒される」とか、「新しい者に変えられる」という聖書の言葉を、自分の心が新築の家に建て替えられてそこで平穏に暮らすようなものだと、漠然とイメージしていたかもなぁと思いました。

私にとって、齊藤さんの言う『十全な人間』とは、「しみも傷もしわもない、完全に自由で解放された、ポジティブでいつも明るく前向きに、笑顔でいる人」のことでした。

そういう人が「目指すべき理想の信仰者の姿」であり、『健常者』でした。

 

今回初めて「根治」という言葉を知りました。
「完治(完全に治った状態)」とは違って、「根治」とは、完治することを期待して行う療法。

私にとっては、こうしてブログを書くこと自体、アウトプットの場であり、あえてこの言葉を使うとしたら、「根治療法」の一環だともいえますが、以前より書く頻度が減ってきています。

アウトプットすることは、自分が感じたことや、理解できたと思ったことを、自分の言葉で表現することでさらに強く印象付けられるので、より冷静に自分の心を客観視できたり掘り下げることができ、さらなる気づきが与えられるという効果があります。

ペースダウンしているのは、アウトプットを積み重ねてきた結果、ブログを始めたころよりも心が軽くなってきて、書く内容(気づきやヒント)も減ってきているからですが、ここにきて、「自分や子どもを責めてきたママたちへ。自己受容と聖書から子育てのヒントを得る」というテーマが、書くことを邪魔しているという一面もあります。

裏を返せば、私の中ではそういうのがテーマではなくなってきているんですね。

前回、「傷ついたならそれが癒される手立てはある」と書きましたが、生きているうちに完全に癒されきれなくてもいいんだ~、中古物件に住み続けるのもいいんだ~と心がゆるんできました(笑)

たった1週間くらいで言っていることが違いますが、これこそ生きて日々変えられていっている証しなのだと思います。

 

完全に心の傷が癒されることが理想の状態だと思ってきたのは、「しみも傷もない者として平安のうちに神に見出していただけるように」(Ⅱペテロ3章14節)という聖書の言葉がベースにあるからですが、そういえば、神さまが私たちの目から涙をことごとくぬぐい取ってくださるのは、天の御国においてだということを思い出しました。(黙示録21章4節)

さらにイエスは、私たちのために住む所を用意してあると言われました。(ヨハネ14章2-3節)

もちろん、中古ではなく、新築!
決してすたれることのない新築であり続ける家です☆彡

(注)ここに書いている内容は私の個人的な考えです。個々の信仰の解釈と合致するとは限らないことをご了承くださいませ。