シャロムの部屋

もうだいじょうぶ!「自分や子どもを責めてきた」ママたちへ。自己受容と聖書から子育てのヒントを得るコラム

【価値観のプログラミング】子どもと遊べない本当の理由

自分を支えた価値観崩壊の危機

子どもと遊ぶことが苦痛だと思うことはありますか?子どもがまだ小さいころ、「ママ、あそぼ~」と言われると、私は胸が苦しくなって吐き気がしていました。自分でも理由がわかりませんでした。

ですが、ある日、カウンセリングの本にこのように書いているのを読んで、納得しました。

過去のある時点で、「それ」はよくないことだとみなした自分の価値観がこれまでの自分を支えてきた。
だから、「それ」をしている人を見ると非難してしまう。
なぜなら、「それ」をしている人を認め受け入れることは、「それ」をダメだとした自分の価値観と、それによって支えてきた自分を保てなくなるからだ、と。

私はこのからくり(?)を自分に当てはめてみました。すると、なぜ子どもと遊ぶことがつらかったのかがはっきりとわかりました。

親の事情を自分のせいにする

私が赤ちゃんだったころ、親の精神的・時間的な事情により、母親に遊んでほしい(赤ちゃんなので、抱っこしてほしいとか、あやしてほしいというレベル)と願ったときに遊んでもらえることはほとんどなかったと想像できます。

そういう状況が何度も続くと、無意識のうちに、願いが叶わない原因を「そんなことを願う自分」のせいにしてしまったのです。

本当は親の事情なのに、「そんなことを願う自分が悪い」「そんなことを考える自分はダメなやつ」、ということにしてしまったんですね。

年齢が小さければ小さいほど、子どもはそういうふうに思うようです。なぜなら、そうすることが自分がこれ以上傷つかないで生き延びれるたった一つの道だ(と思い込む)からです。

で、その決定事項(価値観)がプログラミングされたまま私は大人になり、母親になりました。そして、私の子どもも「ママと遊びたいのに遊んでもらえない」状態になりました。

毎週教会へ行っていましたが、ある日曜日の朝、7才になる息子を起こしたら、涙ぐみながら「教会へ行ったら(帰りが遅くなるので)ママと遊べない…」とつぶやきました。

学校へ行きたがらなくなった大きな理由のひとつも「ママと一緒にいたいから」でした。小さいころに十分遊んでやらなかった結果がそこにありました。

プログラミングしなおす

古いプログラムをアンインストールし、新しいプログラムをインストールする時がきました。ある晩、子どもが寝静まったあと、先ほどのからくりをあてはめながら、自分の気持ちを整理していきました。

私にとって古いプログラムとはこのようなものでした。
「私と遊びたがる子どもを受け入れられない。もし、それを受け入れたら、あの時『母親に遊んでほしいと思う自分をダメだ』としたその決断は間違っていたと認めることになる。そんなことをしたら自分を保てなくなる。だから、子どもと遊べないんだ。」

淡々と書いていますが、なかなか、自分では文章にできず、夫に手伝ってもらいながらポツポツとでてくるキーワードやフレーズを丁寧につなげていきました。上記のようなひとまとまりの文章になったとき、涙があふれてきました。たくさん泣いて、泣いて、涙が止まるまで泣き続けました。

そのうち、自分に対して「ず~っとがまんしてきたんだなぁ。ちっちゃい私、かわいそうだったなぁ。」という思いになりました。

ちなみに、この、自分をかわいそうに思う気持ちは思いやりのようなもので、心のいやしのプロセスにはとても大切な感覚らしいです。子どもは本来、「かわいそうに」「いたかったね」と、よしよしされることによって、自分は守られてるんだということを確認していくものだからでしょうね。

そのあと、「わが子と遊んだら自分を保てなくなる」という古い価値観を手放し、「ママと遊びたいと思うわが子を受け入れても私は大丈夫」というふうに考えるようにしました。

遊んだら遊んだ分だけ、子どもって素直になっていくんですね。ブログを書いたり、本を読んだり、私もやりたいことはたくさんありますが、新しいプログラムをインストールしてからは、「ママ、あそぼ~」という要求に抵抗がなくなってきました。