シャロムの部屋

もうだいじょうぶ!「自分や子どもを責めてきた」ママたちへ。自己受容と聖書から子育てのヒントを得るコラム

過去をなぞる子育て

すぐには変わらない

ある日の新聞に、虐待されて育った女性が、自分の子にはそうしたくないのに虐待してしまうという記事がありました。その呪縛から解き放たれたい、わが子に繰り返したくない、それなのにやってしまう・・・かなしくも、彼女は今日も過去をなぞる子育てをしてしまうのだ、という表現が最後にありました。

過去をなぞる子育て・・・

あなたの心にはどう響きますか?
何か思い出すことがありますか?
いい思い出ですか?
いやな思い出ですか?

私はこの言葉に「わかるわかる~ わかるわ~」ってなりました。そして胸が苦しくなりました。「そうだよね、つらいよね、ほんとはそんなことしたくないよね」って。

怒鳴りたくないのに、怒鳴ってしまう。
嫌味を言いたくないのに、言ってしまう。
見下すような目つきはしたくないのに、してしまう。

どうしてしたくないことをしてしまうのかを知るために、カウンセリングの本を読んだり、友人に話を聞いてもらったりしてきました。そのなかで、私がそのように反応してしまう原因はこれだったんだ!と、目が覚めるような思いになるのに、いざ、同じような状況になると、親にされてイヤだったことをわが子にしてしまうのです。自分の親と同じような反応をして、言葉や態度に出てしまうのです。

人間って、頭で納得しても、なかなかすぐには変わらないものなんですね。

反応は反射的

どう感じるかという「反応」は反射的なものなので、すぐには変えられません。その反応に対して「どのように行動するかは選択できる」ということは、よく聞きます。

でも、そんな一瞬に判断できれば何も思いなやむことはありませんよね~。

では、どうしたら立ち止まれるのでしょうか?
日々のトレーニング?
あらゆる状況を想定しておく?
そんなこんなも、やれるものなら初めからやってるよって話です。

私は正直、はっきりこれだという答えは今のところもっていません。とはいえ、以前よりは、自分の親がしたような反応を、生き写しのようにわが子にやってしまう回数は減ってきています。

過去とは別の道へ

私なりにいろいろ学んできてハウツー的な知識はありますが、心の土壌が整っていないとハウツーを応用するのはむつかしいんだろうな、ということもわかってきました。

人それぞれ方法はあると思いますが、やっぱり私の場合は自己受容の方法があっていました。自分が何をどう感じるかを、否定も肯定もしない・・ひたすらそれをしてきました。

そして以前よりも、私をカチンとさせる相手に対しては「なんでそういうふうにするのか?」「なぜそんなふうに言うのか?」「その心理はなんなのか?」と、冷静かつ客観的に考えられるようになってきました。

この問いは、自己受容をしながら、自分の心をさぐっていくときに何度も自分にしていたものです。だからいつのまにか相手の言動に対しても同じように問うようになりました(心の中でね)。

そして、気づけば子どもに怒る回数も減っていました。減っているというだけで、「あぁ、やってしまった…」と思うこともまだまだあります。

それでも、過去をなぞっていた子育てから、少しずつ新しい道に足あとがついていっているのは確かです。1本の道を通ってきた線路が分岐点にさしかかり、別の道へ分かれて進んでいくように。

まだスムーズに電車を走らせてはいないかもしれないけれど。
枕木を並べているだけの工事中のような状態かもしれないけれど。

それでも、私は新しい道を作っているという実感を持ち始めています。