シャロムの部屋

もうだいじょうぶ!「自分や子どもを責めてきた」ママたちへ。自己受容と聖書から子育てのヒントを得るコラム

【神は完成を急いでいない】子どもをせかすママたちへ

せっかちで心配性のママ

心に余裕、ありますか?多くのママたちにとって、子どもが生まれてからというもの時間に追われ、予定がくるう。その連続ですよね。子どもが小さいときほど、「時間があればなぁ。そしたらもっと心に余裕もでてくるのになぁ。」と思っていましたが、この頃は、時間の余裕が心の余裕を生み出すわけではないことがわかってきました。

私はせっかちなタイプでいつも子どもをせかしていました。

・早く!
・さっさとして!
・なんで今ごろそれをしてるの! 

こういう言葉をよく使っていました。

というのも、私のうちに家族みんなのタイムテーブルがあり、その通り実行され、実現してほしいという強い願い(理想)があったからです。

子どもが服を汚したら着替える手間や洗濯物が増えるし、ケガをしたら手当をしたり、なだめたりと、「余計な」 仕事が増えるので、そうならないように先手を打って手出し口出しをたくさんしてきました。なんでも経験しないと子どもは何も習得しない、と頭ではわかっていたのに・・・ 。

建築家ガウディの言葉

そんな日々を送っていたある日、「サグラダ・ファミリア」の番組をみました。ご存知ですか?1882年に着工し、今なお建築中のスペインにある大聖堂です。

その建築家ガウディは、誰でも集い憩うことができる場所を、町の人々に提供したいという思いで建築にとりかかったそうです。 スポンサーもついていたでしょうが、私財をなげうって、自分は建築中の聖堂の片隅に寝泊まりするようになりました。最期は、毎日欠かさなかった近くの小さな教会へ祈りに行く途中に、交通事故で亡くなりました。

残されたガウディの弟子たちは、なんとか彼の遺志を継いで完成させようと必死でしたが、建築を進める上で必要な装飾のこまかな部分や壁の色合いなどの資料は、その後の戦火で焼かれたりして多くは残っていませんでした。そんな中、ある一人の弟子が、いつもガウディが口癖のように話していた言葉を思い出しました。

「神は完成を急いでおられない」

ここ!これです!私はこの言葉にガツーンとやられました。
「そうや!神様はなーんも急いでない!」(夫も子ども達も!)
「急いでるの、私だけやん!?」

(ガウディの弟子たちとサグラダ・ファミリアに魅了された現代の職人たちは、残された資料をもとに、ガウディが何を考えていたか想像を膨らませながら、今もていねいに建築に取り組み続けています)

せかさないで待つ

ということで、私も子どもをせかさないで待ってみることにしみました。私の理想は、子どもが朝起きたら、
着替え
 ↓
朝食
 ↓
歯磨き
 ↓
時間があればテレビ、という流れ。

しかし最近は、
パジャマのままテレビ
 ↓
テレビを見ながら朝ごはん
 ↓
テレビを見ながらなのでなかなか食べ終わらない
 ↓
食べ終わってもテレビを見てる
 ↓
なかなか歯磨きしない

そういう日々が続いていました。(あれもこれもと口うるさくしすぎた結果、私の言うことをかきなくなっていました。だから少しは子どものペースを尊重しようと思っていましたが、いつのまにか尊重することとダラダラさせることが混同していました)

ある朝、パジャマのままテレビを見ている娘に「そろそろ着替えようか~」と言いかけたとき、時計を見るとまだ園バスが来る1時間前でした。「せかす必要があるのか?」自問自答。答えは、ノー!とりあえずはそのままにさせました。

それから20分くらいたって声をかけたら、テレビを見ることにある程度満足したので、そのあとはこちらの促しに素直に従いました。スムーズに準備をして登園10分前にはすっかり準備がととのいました。

息子も同様に、ご飯の支度ができてもなかなか席につかず、そこでいつも私は機嫌が悪くなっていたのですが、ゲームをしたい、工作をしたいという息子の欲求をある程度きいてあげるようにしたら、こちらの言うことを聞くようになりました。

子どもにとっては、〇〇をしたいという欲求が実現したから、というよりは、「ママが気持ちをわかってくれた」という「受容された感」があるのが嬉しいんだなということがわかってきました。

「神様は完成を急いでおられない」この言葉は、私のタイムテーブルがいつも正しいわけではないことを気づかせてくれました。