シャロムの部屋

もうだいじょうぶ!「自分や子どもを責めてきた」ママたちへ。自己受容と聖書から子育てのヒントを得るコラム

涙を未来に持ち越さないために

「あの本、しらない?」

心の傷やトラウマの癒し・・・、
成長した大人は過去の記憶をたどるしかありませんが、子どもの頃の悲しみや怒りをその時にリアルタイムで処理できれば傷やトラウマは本来残らないんですよね。

今回は6才の娘が大泣きした話をします。

わが家には姉の子どもたちが使った服や本など、おさがりがたくさん届きます。

あるとき、またおさがりの本が送られてきました。子どもたちが留守の間に、何か月も読んでいない保育絵本などは本棚からおろして処分予定の箱に入れ、もらった本を棚に移しました。

それから1~2ヶ月くらいして、子どもたちも箱に移した本のことは何も言わないので処分しました。

それからさらに数か月たったある日、娘が尋ねてきました。「ねぇ、かがみの本しらない?」

それは、『ふしぎなにじ』(わたなべ ちなつ著)というタイトルで、鏡のような紙を使っていて90度に開くと両ページの絵が映りあって立体的に見える絵本。

〈ドキッ!しまった!〉

私「知らないな~。片づけないからまたどっかにいったんじゃない?」

〈本がどっかにいってしまうほど、うちはごちゃごちゃしてないけどね〉

私「別の本もあるし、そっち読めば~?」

娘「うーん、そうだね~」

〈ホッ。深く追求しない娘に感謝!〉

「あの本、すてたの?」

しかし、さらに1ヶ月後・・・また娘が、「ねぇ、せんたくばさみの本知らない?」と。

それは『せんたくばさみがあつまって』(さとう ゆみか作)という、せんたくばさみで鳥や竜などを作ってお話が展開していく写真絵本。

実はどちらの本も息子が好きだったので、あえていうなら息子のために残していましたが、息子は幼児向けの本はまったく読まなくなったので処分したのでした。どうして今になってそんな本ばかり思い出すのやら…?

私「んー?」

娘「もしかして、ママすてちゃったの?」

私「・・・」

「しらない?」にはなんとでも答えようがありますが、この、「すてたの?」に対応する答えは、「はい」か「いいえ」しかないと思いました。ごまかすのはやめようと思い、正直に「うん」と答えました。

すると、娘は悲しそうな顔をしてベッドの部屋に行き、布団をかぶってシクシクし始めました。娘は瞬時に怒ったり泣いたりせず、こんなふうに一人でこっそり悲しもうとするのです。

私としても目の前から姿を消してくれたほうがワンクッションおけるので、この間に心を整え、少し時間をおいてから様子を見に行くようにしています。

娘は布団の中では静かに涙を流していたのに、私が抱っこしたとたんに大きな声を上げて泣き始めました。

うんうん、泣いたらいいよ。
泣いて悲しい感情を出しきったらいいよ。

受け止めてくれる親がいれば、安心して悲しい感情を出しやすいものです。

娘は尾を引くタイプではないので、こうやってひと泣きすればたいてい落ち着くのですが、この時はいつもと違いました。

5分経っても、10分経っても泣きやみません。ずっと大声で泣いていました。

私も最初は落ち着いていましたが、そのうちイライラしてきました。

〈いつまで泣いてんねん?〉
〈ええかげんにせぇ!〉

こんな思いが浮かび上がってきました。

これは父親が私に言い放った言葉と全く同じ。それ以上泣いたら、泣いていること自体に怒られました。それが怖くて、自分の感情をどうにか押し込めて泣きやもうとしましたが、もはやその悲しみも怒りももっていく先を見失い、心はぐちゃぐちゃのまま…。

私はこんなに泣かせてはもらえなかった。「早く泣きやめ~」と思いながらも、娘には心がぐちゃぐちゃのまま大きくなってほしくありません。でもそろそろ限界だなと思った時、夫が帰ってきて全く関係ない話をしてきました。

娘もかなり泣いたからか、ふと泣きやんで私たちの会話に耳を傾けたり質問してきたりしました。

ここぞとばかりに私は夫のご飯支度をするふりをして、娘を部屋に残してその場から離れました。

〈はぁ~、疲れた〉 
〈私、そんなに悪い?〉

そんな思いで、夫にいきさつを小声で話していました。すると、娘が近づいてきてまた一言。

「ママ、おこってるの?」

〈するどいね、この子は…〉

私「ううん、怒ってないよ。部屋にもどろ~」と言って、再び抱っこしたら、なんとまた大声で泣き出したのです。

しばらくして質問したら、娘は私が勝手に処分したことを怒っているのではなく、その本がもう手元にないことが悲しかったようです。

これが息子なら、勝手に処分したことにもっと腹を立てていたと思いますが、そこは気質の違いで、娘はそれよりも悲しい気持ちのほうがまさるのでした。

涙を流しきるか、持ち越すか

泣きじゃくる娘に向き合いながら思いました。

今この涙を流しきらなかったら、未来に持ち越すんだろうな、と。
そして、私の場合は悲しみに浸りきる機会や受け止めてもらう機会を与えられなかったために、多くの悲しみと怒りを持ち越してきたんだろうな、と。

押し込めてきた苦しみが息子との親子関係を悪化させてしまったと自覚してから、過去の痛みと向き合い始め、涙を流して癒されていった瞬間が何度もありました。

過去の小さな自分をかわいそうに思いました。堰(せき)を切ったように涙があふれ出てきました。そしてギューッと小さな自分を抱きしめたい気持ちになって涙が出なくなるまで泣きました。

泣いているのはあの頃の幼かった自分と、悲しみや怒りを抱えながらも必死に生きてきた今の自分。

子どもの自分と大人の自分。

それはまるで、泣いている6才の娘と、それを抱きしめている私の姿。

癒しは、今の自分が必死に耐えている小さな自分を、「かわいそうに、つらかったね、でももう大丈夫だよ」と受容する経験なのかもしれません。

涙は悲しくてつらいその時にぜーんぶ流せば、未来に持ち越すことはありません。

カウンセリング関係の本を読むと、いろんな方がそういう感情を
「味わいきること」
「感じきること」
「浸りきること」
と、異口同音に述べています。

これ以上涙を未来に持ち越さないために、あらゆる感情を、大人げないとか、私が足りないからだとか言って抑えるのではなく、つらい時はそのつらさに、悲しい時はその悲しみに、みじめな時はそのみじめさにどっぷりつかること。

それは人間に備えられた浄化作用、もしくは排泄作用のひとつなんだと、娘が感情をむき出しにして涙を流し続けたことから学びました。

息子とはずいぶん関係がよくなりましたが、残念ながら、幼稚園時代まで抑え込んできた出し切れなかった感情が蓄積されているのがわかります。それは今なお少しずつ修復中。

ところで、買いなおした本とカラーコピーをして作った本(一般販売されていないので図書館から借りてきました)。娘が喜んだのもつかの間、手元にあることに安心しているのかほとんど開いて読むことはありません…。

お金に換算したら約2,500円かかりました。

黙って捨てた代償は大きいなぁと思いましたが、あの時、あれだけの悲しみを我慢させていたら、娘は「わたしが泣き続けたらママは怒る」「泣くのは悪いこと」「笑顔でいなきゃ」と様々な思い込みや、べき・べからずというマイルールがひそかに形成されていったことでしょう。

それを思うと、安く済んだのかもしれません。勝手に捨ててごめんね…(>_<)