シャロムの部屋

もうだいじょうぶ!「自分や子どもを責めてきた」ママたちへ。自己受容と聖書から子育てのヒントを得るコラム

おカネの心配ここにあり

おカネはまわってるの?

経済的な不安がありますか?ズバリ、お金についての不安。これはある人にとっては、いつもなんとなくまとわりついている不安だと思います。これもやはり、セルフイメージが低い人ほど強い気がします。

お金がないのに心配しない人もたくさんいますよね。それもまたいろいろ理由があると思いますが、新卒で就職したころ、同期で入った人にそういう話をしたら「お金こそなんとかなるで。一番むつかしいのは人の心を動かすことやな。」と言い切りました。同い年でしたが、二十歳そこそこでこの子は達観してるなぁと思ったことがあります。

私は中学生の頃から経済的な不安がありました。家が貧しかったからではありません。むしろ父は自営業をしていたので裕福でした。その現実を見ているのに、どこからその不安がくるのかずっとわかりませんでしたが、自己受容を学んでいくうちに原因がわかってきました。

それは、親からの不安定な愛情供給と私の経済観が、いつのまにかイコールになっていました。物質的に裕福な現実を見ていたからこそ、気づかなかったのかもしれません。

父は厳しい人でした。私は末娘なのでかわいがってくれたことも覚えています。そのように優しい時は優しいのですが、怒るときはめちゃくちゃ怒る人。でもその怒る基準がその時の気分によって変わるので、いつ怒られるかわからない不安がたえずありました。言い返すことも反抗することもできず、いつも父の顔色をうかがって過ごしていました。自己受容を深めていく中でそのうち消えていくと思いますが、今でも父に対する恐怖は私の内にまだあります。

6才上の姉は私と違って、ビクビクすることはありません。父が怒ったらめんどくさいだけ、と割り切っています。また、与えることが好きで、誕生日のプレゼントはもちろん、結婚祝い、入学祝い、お年玉でそれなりの額を包みます。与えつ受けつを経験しているからか、日々の生活は節約しつつも、ここぞというときは惜しみません。「お金はまわってるもんやからなぁ」と、カネは天下の回り物ということばの中に生きている人です。

愛情供給=経済観

私は経済的な不安のルーツを知るために心を探り始めました。そして、父に逆らったり反抗したら、「見捨てられる」「家を追い出される」という不安やおそれをいつの間にか持つようになっていたことに気づきました。

父親は物質面では十分に満たしてくれました。しかし、愛情面については、与えるときは与えてくれたけど、いつその愛がなくなるかわからない状態。もちろん、父なりに私を愛していたと思いますが、私からすれば親が与えてくれる愛に安心をみいだせなかったため、目に見えない愛よりも、目に見えるお金に安心を見出そうとしたのかもしれません。でも、お金は使えば減っていきますよね。だから、お金で安心することもありませんでした。

先ほど書いたとおり、私の場合、愛情供給=経済となっていたので、経済についても「いつお金がなくなるかわからない状態」ということになります。そこが魂の記憶の底で密接にくっついていたので、物質的・経済的に満たされていてもお金に対する不安は消えなかったのです。

 「思い込み」と「信じる」は雲泥の差

前提を変えてみようと提案している本を読んだことがあります。「お金がないと思っていたらお金は入ってこない。だから、実際にもっていなくても、私には十分お金があるという前提にする。そして与える。差し出す。寄付する。なくなる心配をしない。だってあるという前提なんだから。そうしたらお金はまた入ってくる。」という内容です。

でも、「十分お金はある」と思うことはできても、行動にうつすには勇気がいります。こればかりは、体験しないと実感できないことなんでしょうけど…。

そのあと、別の著者が「与えていても、心の底で自分は貧しい・乏しい者だ、と自分を認識していたら、自分には返ってこない」と書いているのを読んだとき、あぁ、私はこれだ~とはっきりわかりました。

心のブロックが解けていない状態で、どれだけ私は豊かだと思っていても、心の奥底で私は貧しいと認識していたら効果はないんですね。返ってくることを期待して与えるのもどうかと思いますが、おカネが回る経験をするのは楽しいですよね~。わたしだけ…?ではないはず(笑)

聖書に、私たちはすべてにおいて、キリストにあって豊かなものとされた、と書いています。「すべて」ということは、経済的なことも含まれます。

クリスチャンとしてこの大前提があるにもかかわらず、心のブロックが解けていなかった私は、なかなかこれを本当に「信じる」ことができませんでした。信じていたつもりなだけで、「思い込み」どまりだったんだなと思います。

今は少しずつ、経済に対する不安は解消されてきました。私の中で愛情と経済がこれほど密接な関係にあったとは思いもしませんでした。