シャロムの部屋

もうだいじょうぶ!「自分や子どもを責めてきた」ママたちへ。自己受容と聖書から子育てのヒントを得るコラム

四角い世界

まじめじゃないよ?

私たちの周りにはいろんな人がいますね。その一人ひとりを一言で言い表すと、それぞれの印象が浮かび上がります。

では、自分のことを一言で言うなら?

他者のことは一言で言えるのに、自分のこととなると「こういう面もあるけど、あぁいう面もあるし」なんて思ったりして、一言で言うのはむつかしい気がします。

自分が自分をどう見るかはさておき、私は「まじめだね」と言われることがけっこうありました。

友人など横のつながりのなかで言われることはありませんでしたが、学校の先生や職場の上司など、自分より立場が上の人たちからはそういうふうに見られることがよくありました。

しかし、そう言われるたびに違和感を覚え、「私の何を知ってるの?」という思いが出てきました。

相手は悪い意味で言ってるのではないことがわかっているので、笑ってやり過ごしていましたけれど。 

 四角い世界 

どうして違和感を感じてきたのか?

どうしてその言葉に腹立たしさを感じたのか?

それはいつの間にか「~べき、~べからず」という枠の中に自分を置かないと生きていけなかった息苦しさがあったからです。

「まじめ」と言われたのは、成績がいいとか仕事ができるとかではなく、私の考え方が四角四面のようで、そういう印象を私自身が与えていたのだと思います。

それもそのはず。 

私の場合、まじめと言われるのは、いつ怒りだすかわからない父親への恐れと緊張感が心の根っこにありました。

できるだけ父の機嫌をそこねないように。それでもたくさん失敗して何度も怒られ、べき・べからずの鎖でがんじがらめになってしまいました。

権威者に対しては、「きちんとしていると思われること」が重要でした。父は細かくチェックする人ではなかったので、実際きちんとしているかどうかではなく、「そう思われること」が大事だったのです。

だから、「まじめだね」と言われるのはいつも権威者や目上の人たちからでした。そしてそう言われるたびに「本当はそうありたくないのに。そうじゃないのに。」という苦しさがよみがえるのでした。

そういうプレッシャーを緩和させてくれる友人など、私の多少のわがままを受け止めてくれる横の関係があったことは本当にさいわいでした。

遠い過去の小さな自分

人によって、どういう部分にブレーキをかけるか、条件をつけるかは違いますが、共通しているのは、本来の自分を抑え込んでいるということ。

乳幼児を見てわかるように、人間誰しも本来は何にも束縛されない自由な心をもって生まれてきます。

なのに、いろいろ経験していくにつれて、このままだとまずいことになる…とブレーキをかけたり、こういうときはこうしたほうがいい、こうするべき…と、枠のなかに納まって生きるほうが身のためだと「学習」していきます。

そうやって本来の自分を閉じ込めてしまいます。極力、障害物を最小限にしていきます。生きていくために。

そう、ひとりで生きていくすべを持たない小さな子は、与えられた家庭環境の中で生きのびるために、本来の自由な考えや自由なふるまいを抑え込み、ときにはそんな考えや感情はなかったことにすることさえあります。

幼いころの記憶や感覚が乏しかったり、
自分が好きなものがわからなかったり、
自分ってなんなんだろうと存在意義をいつも探していたり、
心のうちに空虚感があったり、
もし、そういうことがあるなら遠い過去に閉じ込められた小さな自分が成長を遂げられずにいるのかもしれません。

 暗いよー

 さびいしいよー

 ここから出してー

その子は自分の心の奥底にいます。他の誰かの記憶の中ではなく、自分の記憶の中に生きています。だから探し求めるなら必ず出会うことができます。

スピリチュアルな話ではなく、自分を取り戻すっていう感覚ですかね。自分の全存在・全人格をまるごと受け入れるという感じ。

【価値観のプログラミング】子どもと遊べない本当の理由】』で書いた通り、私は、つらい状況に耐えてきた過去の小さな自分がけなげでかわいそうになり、たくさん泣きました。しかし、泣き止むころには、安堵感のような温かい気持ちになりました。

心の傷が癒えていく瞬間でした。悲しかった感情が処理されたので、今は思い出してもつらくないし、心も痛みません。思い出すことすらほとんどありません。

それはちゃんと消化したしるし。ちゃんと処理できた証し。

大人になったら、過去の気持ちを探るとか、自分を取り戻すとか、そういうのってよくわからなかったり、めんどくさかったりします。そんなことしなくても、なんとかここまで生きてきましたしね。

でも、それを見過ごすことがどれほど自分の人生や人間関係に影を落としているのか、現実を見ればわかると思います。

●他者を受け入れられない…(自分を受け入れてないから)
●なにかと自己主張してしまう…(自分が傷つく姿に耐えられないから)
●人の気持ちを負いすぎてしまう…(相手が傷つく姿に耐えられないから)
●他者にどんどん踏み込んでしまう、または踏み込まれてしまう…(境界線をひいてないから)

裏を返せば、そのようにしないと生きのびてこれなかったのです。

成長した大人は過去の記憶をたどるしかありませんが、次回は、現在6才の娘がフタをせずに、リアルタイムで自分の感情と向き合った経験を書こうと思います。