シャロムの部屋

もうだいじょうぶ!「自分や子どもを責めてきた」ママたちへ。自己受容と聖書から子育てのヒントを得るコラム

思考のクセ

「普通・常識」となっているのが「クセ」

人それぞれ、思考パターンというのがありますよね。
これ、最近のキーワードのひとつで、思考のクセということをよく考えています。

私は「こういうふうに」考える。いや、「こういうふうに」考えるのが私だ、なんて思ってきましたが、それが私だとするなら、それも思考のクセがそういうふうな私をつくりあげているということを知りました。

「クセ」は習慣化されて、その人にとっては「普通」のことになり、その人の「常識」になります。

でも習慣を変えたら、その「クセ」も「普通」も「常識」も変化し、「こういうふうに」考えていた「私」も変化するはず。
もしそうだとしたらおもしろいかも、と思いませんか?

どうしよう?というクセ

先日、友人と話していたら、「ずっと、どうしよう…と思って生きてきた」という話になりました。

私も似たようなものだから、よくわかります。
自分の価値観に自信が持てず、自分の考えてることや感じてることを人に指摘されたら、ぶれてしまうことがしょっちゅうありました。

私、まちがってる?
ううん、まちがってない…と思う。
でも、なんだか不安。
どうしよう?

ここで私のふたつの例をあげます。

友人とその話をする少し前のことです。
美容室に行ったら、私が予想していなかった後頭部に白髪が増えていました。

それを美容師さんに指摘されたときの私の第一声は「どうしよう?どうする?どうしたらいい?」でした。

でも、担当の美容師さんはこう言って、私の戸惑いにあっさりばっさりブレーキをかけました。「染めればいいのよ。今日もカラーするんでしょ?」

それはそうなんだけどぉ。
それでもまだ動揺している私はしつこく、「え~?どうしよう?どうする~?」と言っていました。

美容師さんはまたも冷静に「染めたらいいのよ。染める髪があるんだから幸せよ。」

はい。そうでした。そうですね。
共感は大事ですが、ときにはこうやってハッキリ言ってくれる人も必要です。信頼関係があっての話ですがね。

生えてきた白髪は私の力で黒くすることは絶対にできません。絶対できないことに対して、どうしよう?と思っていてもはじまりません。

でも、どうしよう?と、とまどう気持ちを否定する必要はありません。
かといって、どうしよう?と言い続ける必要もないんですよね~。

ここで気づきました。
どうしよう?どうしよう?という思考回路の中にいることが、私にとってある意味落ち着くのです。というか、そこから抜け出すことに居心地の悪さを覚えるというほうが正確かもしれません。

こういう状態が「クセ」です。
迷っていたくないと思う反面、どうしよう?と思い続けていることが自分にとって「普通」なんです。「普通」で慣れ親しんでるから、そこから抜け出すことは、迷い続けるのとは別のエネルギーが必要になり、当人にとっては負荷がかかることなんです。

運動不足で体がなまってしんどいのに、軽い運動を始めようとすることもまたしんどい、という感じですね。

運動をしないという不健康な状態になれてしまってるから、体を動かしたらいいと頭ではわかっていても、気持ちも体もついていきません。不健康だとわかっていても、好きなことだけしてダラダラする心地よさも同時に経験しています。そこにいすわってしまうんですね。人間、ラクなほうに流れていきますからね~。

もうひとつの例。
この2~3週間、子どもたちのインフルエンザに始まり、私もうつってしまいました。しかも、私一人だけ咳や鼻水、帯状疱疹まで出てまだ痛みます。疲れた時にたまに発症するのですが、今回はかゆみより痛みが非常に強いです。

風邪症状が続くので、インフル発症から10日目、かつ、帯状疱疹の皮膚症状がでた翌日に内科に行きましたが、帯状疱疹のための抗ウィルス剤は処方されませんでした。

帯状疱疹の場合は、皮膚症状があらわれてから3日(72時間)以内に抗ウィルス剤を飲んだほうがいいそうなのですが、内科に行った日の夜、また「どうしよう回路」にはまっていました。

抵抗力を回復する薬もらったしなぁ。
でも、痛いしなぁ。
先に皮膚科に行けばよかったかなぁ。
明日行こうかなぁ。
めんどくさいなぁ。
お金かかるなぁ。
でも慢性化したらいやだなぁ。
どうしよう?
明日行かなくても、あさってならまだ3日以内。
それまで様子見るか?
やっぱり明日行くべきか?
どうしよう?

しばらくして、はたと気づきました。
迷っている理由は、めんどくさいのとお金がかかるというだけのこと。しかし、それくらいの時間とお金はある。
それなら、この「どうしよう?」は、皮膚科に行くか行かないかを決めたら解決する、と。

書いてしまえば、たったこれだけのことなのですが、なんでこれを私はすぐに決められないのだろう?
答えは先ほどと同じ。迷っていたくないと思う反面、どうしよう?と思い続けていることが自分にとって「普通」だから…でした。

クセを変えるより気づくことのほうが大事

では、そのクセを変えるにはどうしたらいいか、ということですが、変えるよりも気づくことのほうが大事だと思います。

意志の強い人は、自分のクセに気づくたびに自分の思考をこっちじゃなくて、あっちにもっていくことができるでしょう。それを何度も繰り返していって、あっちの方向に新しく習慣づけができるかもしれません。最終的には以前のクセを変えることに成功するでしょう。

ですが、それほどの意思があるなら、「どうしよう?」なんて迷いながら生きてこなかったと思います。

そもそも、そんな強い意志がないからあっちの方向を選び取れないできたのです。やれるもんならそうしたいよ…というのが「どうしよう?人間」の本音です。

だって、どうしよう?って思って生きてるのってすごくエネルギーを使うから疲れるんですよね。そんな疲れた人生を誰も好き好んで送っているわけではありません。
選び取ることができるなら最初からやってるって話です。

意志の強い人からすれば、そういう人はじっとうずくまってるように見えるので、そこまでエネルギーを消耗してるなんて思わないでしょうね。

変えるための解決法は、AかBか、という選び取りではありません。
もし、変わりたい・変えたいと思うなら、もっと根本的なところからアプローチする必要があります。単純に、なんで迷うのか?なんで意志が弱いのか?というふうに。

シンプルなことだと思います。
意志が弱いのは、弱められてきたからです。
意志を尊重されてこなかったからです。
そういう経験を重ねてきたから
、自分で自分の意思も尊重できなくなったのです。

だから迷うし、ぶれるし、決められないのです。
これに気づかないと、自分に対する責めが生じます。

だけど、「解決」しなくてもいいや~って思うこともありだと思います。それもまたひとつの価値観だからです。

私自身は、どうしよう?と思うクセを解決したいわけでもなく、変わりたいわけでもありません。

もし、「クセ」に気づいて、その「クセ」を変えて自分が変わるのなら、それっておもしろいかも・・・というレベルです。

どうしよう?って思いめぐらすクセに限らず、めんどくさがりな部分や、せっかちな部分も含めて、いろんなクセやパターンが私というひとりの人間の中に混在しています。

それが「私」という人間なら、その「私」は真実なんだろうか?
もし、そのクセやパターンが変わって「私」が変わるというなら、真実と思った「私」は真実ではなくなるのでは?

な~んて考えてるのがおもしろいだけのことなんです。