シャロムの部屋

もうだいじょうぶ!「自分や子どもを責めてきた」ママたちへ。自己受容と聖書から子育てのヒントを得るコラム

信仰と脳科学

プラス思考のキーワード

「感謝、希望、救い」と聞いて、どういう分野の本に書かれていることを想像しますか?

実はこのキーワード、プラス思考に必要な要素として、脳科学の本に載っています。

信仰のない人がなぜ強靭なメンタルを保持できるのか?なぜプラス思考でいられるのか?私は常々不思議に思っていました。そこで、ある知人との話をきっかけに脳科学に関する本を読みました。

・「感謝できる人」だけが最高の人生を実現する!
・「希望を持ち続ける人」になる法
・救いのイメージ…これが「真のメンタルタフネス」だ!

これは、その本(『No.1理論』西田文郎著)の中にあった小タイトルです。著者は大脳生理学と心理学を利用して脳の機能にアプローチする手法を研究しているようで、単なるプラス思考のハウツー本ではなさそうです。

「思考の裏にはイメージと感情がある。潜在意識にあるイメージと感情をプラスにしなければ、思考だけをプラスにしても長続きしない。プラス思考になろうとしてなれない人の多くは、それを心の問題と考えてしまう。心には実態がないのでアプローチのしようがない。それで、宗教や心理学に関心が高まる。しかし、心は脳でつくられます。」

一見、宗教や心理学を批判しているようですが、そのあとすぐに、

「天国や救いのイメージは最高のプラスイメージです。どの宗教にもある手を合わせる動作、目を閉じる動作、徹頭徹尾、肯定的な祈りの言葉は見事なクリアリング・プロセスであり、私たちは、これまで人類が本能的・無意識に行なってきた脳のコントロールをブレイン・トレーニングとして意識的かつ科学的に行なおうというだけなのです。」

なんとまぁ!

これまで、本の内容を丸写ししないように努めてきましたが、これについては、ほぼそのまま載せます!というくらい、声を大にして伝えたい内容でした。

信じる気持ち

信仰を科学するわけではないですが、「信じる気もち」の強さは脳に大きな影響を与え、その人の生きざまに反映していくのは確かです。

うん、確かなはず…だよね?じゃぁ、どうして私は日々の小さなできごとに対してプラス思考で対処できないんだろう?という疑問があります。だからこういう本に手を出すんですよね~。

そして読むたびに、今回の本もそうですが、なんだそんなの聖書で言ってるじゃないかってとこに行きつくのです。だったら聖書だけ読めよって話なんですけど、神さまを信じているわりに、力がわいてこず、自制もきかず、感情に流される自分がこれまた不思議で、一冊、また一冊と読んでしまうのです。

確かに、宗教も心の問題もつかみどころがありません。だから、大脳生理学に基づいて分析される自分の心理状態が明らかになるのは大きな助けになります。

でも、このたぐいの本は、経済面や人間関係を含め人生をいかに充実に生きていくかというところを目標としています。そのために何かを信じる気持ちや感謝の気持ちを持つことは大切だと言っています。なんの宗教かを問う必要はなく、歴史上の人物や自分が信頼する人でもいいわけです。

「主」と「副」

良書と言われる本も、絶版になり入手するのが困難になりますよね。そんな中、聖書は印刷技術が革新されて500年来、発行され続けています。その国、その時代、原語の研究成果に応じて翻訳は更新されますが、内容は変わりません。これが永遠のベストセラーと言われるゆえんです。

人が人として生きていくうえで必要な道徳なら、儒教でも仏教でもすばらしい教えは山ほどあるでしょう。偉人の名言集も役に立つかもしれません。

しかし、聖書が他の書物と一線を画す最大の相違点は、「天地万物をつくられた父なる神のみもとに立ち返ること」を説いていることです。

父なる神は愛のかたまりのような方なので、たとえ神を信じない人にも「人類に与えた幸せの原則」よって、人々に幸福感を与えてくださいます。一般書を読んで私がよく思う「そんなこと聖書に書いてあって、とっくに知ってるよ」という内容がそれにあたります。

でも、「人類に与えた幸せの原則」は、本来、父なる神との関係を持つ者に与えられる副産物に過ぎません。副産物はあくまで「副」なのです。だから幸福「感」どまりなのです。メインである「主」は、父なる神ご自身であり、父なる神との関係です。

私は一般書を通して、神さまが「人類に与えた幸せの原則」をたくさん再発見しています。それによって、聖書で神さまが「~しなさい」「~してはいけません」と言われていることが、信仰あるなしにかかわらず人々の幸せに通じるのだということを思わされて、励まされます。

しかし、「副」である「人類に与えた幸せの原則」を知らなくても、自己啓発・自己開発のようなことをしなくても、何事にも動じない者に変えられる人がいます。

最初から、またはある時点から「主」によって自分を確立した人です。そのような人は「副」をさがし求めることはほとんどしません。自然にその原則にのっとった人生を送っているからです。幸福感を得た人生ではなく、幸福な人生そのものです。

その人はどのように「主」を見いだしたのでしょうか。

今の段階で私がこれだと思う唯一のカギは、すべてについて「主」に相談することです。

「ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。」(イザヤ9章6節)

「ひとりのみどりご」「男の子」は、イエス・キリストをさしています。
「不思議な助言者」は、「人間の思いをはるかに超えたみわざをなす助言者」という意で、英語では「Wonderful Counselor(ワンダフル・カウンセラー)」と訳しています。

カウンセラーなる神さまにたえず語りかけ、その助言に耳をかたむけて今日も過ごしていますと、言える日を思い描いて今日を過ごします。(o^―^o)

(注)ここに書いている内容は私の個人的な考えです。個々の信仰の解釈と合致するとは限らないことをご了承くださいませ。