シャロムの部屋

もうだいじょうぶ!「自分や子どもを責めてきた」ママたちへ。自己受容と聖書から子育てのヒントを得るコラム

楽しむ!!

復学中の息子

自分を楽しませていますか?
自分が楽しむことを優先していますか?

息子がこれといったきっかけもなく小2の後半から約6か月間学校を休みました。年度が改まり、3年生になってからは、下の娘の園バスを見送ったあと、2時間目から一緒に登校しています。私は給食が始まるころまで廊下にいて、下校時に迎えに行っています。

クラス替えがあり、担任も変わり、クラスの雰囲気はいいようです。理科や社会、書道やリコーダーなど息子にとって興味のあるものが増えました。遅れて教室に入ることもさほど気にしていないようで、今のところ、私が一緒に行く限り、行き渋ることはほとんどなくなりました。

新学期が始まって3週目に給食までいられるようになった日は、一緒に食べられることを喜んでくれる子がいたり、席替えをして息子と隣の席になってうれしいと言ってくれる子もいたり、家では与えられない刺激を受けています。1時間目から行けなくても、宿題をしなくても、不登校期間のことを思うと今はそれだけで十分です。

数か月通ったくもんは、本人が「学校に行くようになったからやめたい」と言ったのでやめました。本当は宿題をやるのがいやなんじゃないかなと思ったのですが、息子が「自分の意見を受容してもらえた経験」をするにはもってこいのチャンスだったので、すぐに退会手続きをしました。

私が切り替えたこと

この1か月、私がこころがけているのは、宿題について口出ししないこと。登校前に時間割や持ち物チェックをしないこと。また、どんなに遅くなっても就寝前の読書タイムをとりたがるので、「早く2階にあがれば、たくさん読めるよ」と肯定的に伝えることなどです。(前までは「早く2階に上がらないと、読む時間がなくなるよ」でした。)

いつも完璧にできるわけではありませんが、スムーズに伝わらないときでも、とにかく、同じことを何度も言わないように心がけています。私にとっては大きなチャレンジですが、何度言ってもきかないなら言わなくても同じ…と自分に言い聞かせています。

「〇〇してくれたら、お母さんは嬉しいな」というアイ・メッセージは何度かやってみましたが、テクニック不足でうまくできません。そもそも、なんで親がそんな下手にで出なきゃいけないのか?という考えがあるので、まずそこを解決しないことにはそれも空回りしてしまいます。

そして、もうひとつ。これまでは、子どもたちがこれ以上傷つかないようにと思って、いろいろ勉強したり、カウンセリングの心得がある友人に話を聞いてもらったりしてきましたが、それを「自分のためにする」ことにしました。

「子どものため」という出発点だと、子どもの変化を即座に期待してしまいます。実際、子どもは変化してきているのに、まだ変化があらわれていない部分に目がいってイライラしてしまうのです。

私はこんなに学んでるのに(楽しいんですけど)、心が癒されてきたという実感もあるのに(嬉しいんですけど)、「なんであなたは変わらないの?」と、より手ごたえのある変化を期待していることに気がつきました。

(実のところは、子どもが変わらない…と目が行く部分が、私の中で解決されていない部分。それが解決したら、子どもが変わるか、または子どもが変わらなくても私が気にならなくなるか、そのどちらかでしょうね。)

私ありき

先日、ある本で「プラス思考の人の周りにはプラス思考の人が集まる。その逆もしかり。」というのを読んで、自分が楽しく学び、楽しく過ごすことが子どもの笑顔を増やす一番の近道なんだと悟りました。子どもは周りに影響されやすいので、私が楽しんでいれば、子どもも楽しく過ごせるんだろうなと。

でも、子どもの笑顔を増やすことを目標とする必要はありません。

この一言を、私は長い間、聞きたかったような気がします。そんなのどこにも書いているのを見たことがないし、聞いたことがありませんでした。 

私は、「お母さんは家庭の太陽」とか「お母さんの笑顔が子どもを笑顔にする」とかいうフレーズに抵抗があります。そんなプレッシャーかけないでという気持ちになるからです。

「親が変われば子どもは変わる」という言葉ですら、子どもの状態が悪いのは自分のせいだと責められているようで傷つく人もいます。

それもこれも、「子どもありき」の視点だからだったんですね。

子ども云々の前に、私というひとりの人間が感じていることや、考えていることを認めて、まずは「私ありき」という自己承認・自己受容が確立されていなければ、「子どもありき」も「他人ありき」もそのうち苦しくなるのではないでしょうか。

信仰者としてもう一歩踏み込むなら、「神ありき」でしょう。

「すべてのものが神から発し、神によって成り、神に至るのです。」(ローマ11章36節)

この聖書箇所からすると、1番にくるのは神さまですね。そして2番が私です。ポイントはそれ以外の人はどうなるか。

「私ありき」だと、私が1番、子ども(夫)が2番、あの人が3番、この人が4番…と、果てしなく順列をつけそうになりますが、「神ありき」の視点は、私は2番、子どもも2番、あの人も2番、この人も2番になります。

「???」と思われるかもしれませんが、あの人もこの人も、その聖書箇所を自分に適応するならみんなが2番になりますよね(笑)。神さまの目にはそう映っていると私は思います。

そういう目で周りを見ると、みんな一人ひとりが神さまに招かれている存在なんだなと思えて、誰かを励まそう、元気づけよう、私がやってあげなきゃ、と必要以上に躍起になることもないような気がします。

「いつも笑顔でいよう」なんていう目標も、もういりません。

楽しく過ごしていたら勝手に笑顔になるからです。ある人がこんなことを教えてくれました。

「人が一番いい表情をするのはどんな時だと思う?ほめられた時ではなく、ほめている時なんだよ。自分の好きなことや、好きなもの、好きな人のことを話している時とかね。そういう時って、表情だけではなく、身振り手振りも大きくなって、全身がイキイキしてるでしょ~。」

言われてみれば・・・ですね!

そう、だから力を抜いて、余計な目標なんか立てないで、まずは自分が楽しむ!楽しいことは楽チンなこと!これでいきましょ。そういえば、「楽しむより おもしろがる」と言った樹木希林。なるほどね~(*^-^*)