シャロムの部屋

もうだいじょうぶ!「自分や子どもを責めてきた」ママたちへ。自己受容と聖書から子育てのヒントを得るコラム

天秤にかける思い【異なった価値観】

私たちはいつも何かを選択しながら生きています。あっちの思いとこっちの思いを天秤にかけて、比重が重い方を選び取っています。

その基準は、損か得か、好きか嫌いか、善いか悪いか、正しいか間違っているか、ワクワクするかしないか、など、人それぞれで、その時の状況にもよりますよね。

 

さて、先日、回転ずし屋に行きました。

息子が自分のが来るまでの間や食べ終わった後、本を読んでいました。

これまでの私なら、食事中に自分一人の世界に入って本を読むなんて許しませんでした。

いつどうやって注意しようかと考えていたのですが、子どもの気持ちを汲みながらこちらの思いを伝えるのが下手な私には、「注意するか」「注意しないか」の二択しかありません。

ですが少し冷静になって、その二つを天秤にかけるのではなく、「行儀をしつけること」と「楽しい雰囲気を維持すること」を天秤にかけました。

普段、家での食事中に本を読むわけではないし、この子は単に、空いた時間は退屈だろうと予想し、自分なりに時間の過ごし方を考えて本を持ってきた。それなら、それを尊重してあげよう。責めるような言い方をして雰囲気が悪くなるよりは、私も楽しくおいしく食べることを選び取りました。

 

旧約聖書の箴言14章1節:
知恵のある女は家を建て、愚かな女は自分の手でこれを壊す。

私がイライラして感情のまま言葉を発するときは100%、その場の雰囲気を壊してきました。

抑えられない怒りの感情を吐き出してもスッキリ爽快なんて気分には決してならない。

子どもたちが渋々言うことを聞いても、その顔から笑顔は消える。

家族と楽しく過したいと思う夫の気分も台無しにしてしまう。

私はまさに自分の手で家を、家庭を壊す者でした。

この聖書の言葉が頭をかすめるのに、期待通りにならないことを怒りでしか表せない自分を情けなく思っていました。

私は特に家庭の中では夫も子どもも期待通りに動いてほしいと思いがちで、口に出してしまうこともよくあります。

子どもがうるさくしたり、わがままを言った時、私だったら厳しく注意するのになと思うときも、夫はそうしません。

夫いわく、「こっちがちょっと我慢して、気が済むまでやらせたら、あとはスムーズに事が流れる。親のやり方を主張して、子どもの心をくじけさせるよりは、少々うるさくてもわがままでも楽しく過ごしてるならそっちのほうがいい。とにかくオレはみんなと仲良く過ごしたいんだ~」

そして子どもはというと、夫の言うことをよく聞きます。

自分を尊重してくれて、受容してくれる人には素直に従うんですね。

 

ということで、「正しいか 正しくないか」「注意するか しないか」「常識か そうでないか」というのは、裏を返せば、同じ次元、同じ価値観でしかその二つを天秤にかけていないことがわかってきました。

「行儀をしつけること」と「楽しい雰囲気を維持すること」は異なった価値観です。

この二つの視点はズレています。ズレているものを天秤にかけています。

行儀をしつけないのは親として無責任だと思う人もいるかもしれませんが、同じ状況で行儀をしつけてもいいししつけなくてもいいし、楽しい雰囲気を維持してもいいし、維持しなくてもいいのです。

雰囲気を壊さずしつけもできればいいのかもしれませんが、それも本当に「いい」ことなのでしょうか?

最近思うのです。

子育てに「正しい」「間違っている」はないと。

少なくとも、今まだ生きて日々変化していってる途中なんだし、正しいか間違ってるか、いいかわるいか、なんて結論でないですよね~。

仮に、「それ違うんじゃない?」と言われたことをやり続けた結果が、大多数の人には「失敗だった」と見えたとしても、誰が誰を責める権利があるのだろう?

多数派の意見は常識になり、正解と思いがちです。

私もそう思ってしまうときがありますが、そういう考え方、ホントに気をつけなければいけないなぁと言い聞かせています。