シャロムの部屋

もうだいじょうぶ!「自分や子どもを責めてきた」ママたちへ。自己受容と聖書から子育てのヒントを得るコラム

天秤にかける思い【目的と手段】

コロナ収束の先行きが見えないまま、学校が再開しました。

子どもたちも約1時間で身支度を整えて出発するという、あわただしい朝が始まりました。

着替え、朝食、歯磨き、持ち物の確認。

やることとしては、たったこれだけのことなんですけどねぇ~。

なぜこれがスムーズに、さわやかに、すがすがしくできないのでしょうか?

そうできる日もたま~にあるんですけどね。

 

とにかくめんどくさがり屋の子どもたち。

娘はなかなか起きない。

伸びてきた髪の毛を結ばなくちゃいけない。

息子は目覚めはいいけど、なかなか着替えない。

食べるのが遅いくせに、できるだけ全部食べたい。

コロナ感染予防対策のため、検温したら学校指定の用紙に記入してポケットに入れて(玄関でチェックするのでランドセルには入れられない)、水筒も持っていくことになって、もちろんマスクもね!!

あれは?
これは?
もう時間だよ!
急がないと!
なんで今それ⁉

数日こんな朝が続いて、子どもたちがやっとこさ登校し、静まり返った家の中に入って思いました。

「1時間たてばあの子たちは学校へ行く。そうだ、学校にさえ行ってくれたら、今の私は嬉しいのだ。」

百歩譲ったとして、「私が送ることになってもいいから、学校に行ってくれたらいい」のです。

イライラしても1時間。

イライラしなくても1時間。

同じ1時間なら、平穏に過ごしたい。

子どもたちの心身の発育にとってもそれがいいのはわかってる。

 

そこで、目的と手段を天秤にかけました。

もちろん、私にとって比重が重いのは目的。

すなわち、子どもたちが学校に行くという目的です。

最初に書いた、「着替え、朝食、歯磨き、持ち物の確認」は、学校へ行くための手段です。

着替えることも、朝食をとることも、歯磨きも、持ち物も確認も、どれも大切ですが、「学校に行く」という目的からすると、その一つ一つは手段なんですよね。

究極、パジャマで学校に行ってもいいし、朝食抜きで行ってもいいし、歯を磨かないで行ってもいいし、検温も水筒もマスクも忘れたっていい、遅刻してもいい、学校にすら行かなくてもいい。

究極は、そうですよね。

だけど、多くの人は、学校には行ったほうがいい、遅刻はしない方がいい、忘れ物はしない方がいい、歯は磨いた方がいい、朝食はとったほうがいい、目覚めよく起きたほうがいい、そのためには早く寝たほうがいいと思っています。

子どもが自発的にそう思うなら、子ども自身が自分を管理するのかもしれませんが、うちの子どもたちは面倒くさがりやなのと、年齢的なものとがあって、まだ「明日のために、今日~したほうがいい」という逆算的思考ができません。

泣かぬホトトギスを殺すのか、鳴かせるのか、鳴くまで待つのか・・・? 

①できぬなら 私がやろう 君のこと

②できぬなら やらせてみよう 力づく 

③できぬなら やるまでまとう 今日もまた

私はすでに①と②を試して失敗しています。

なのに、なかなか③の状態をキープできません。怒鳴ってやらせたり、私がやってしまったほうがラク・・・私もまた面倒くさがりやなのです。