シャロムの部屋

もうだいじょうぶ!「自分や子どもを責めてきた」ママたちへ。自己受容と聖書から子育てのヒントを得るコラム

『喜びの歌』を喜んで

第九をピアノで

クラシック音楽を楽しむことはありますか?

私は自分がピアノを弾くので、子どもたちも弾けるようになったらいいなぁとは思っていましたが、無理やり教えようとしたり、習いに行く?という話はしないようにしていました。

ところが娘がピアノを習いたいと言いだし、数ヶ月間言い続けたのでようやく習わせることにしました。こちらが手放すとき(あきらめたとき)に、子どもは自ら動くという話を聞いたことがありますが、これもそのひとつなのでしょうか?

娘の話はさておき、私自身はクラシックピアノを弾くことがなくなっていました。弾いたとしても最低限の技術維持のためで、昔ならった曲や簡単な曲しか弾いていませんでした。指もなまり、楽譜を読む力もおとろえ、今となっては視力もおとろえつつあるなか、一から新しい曲を練習する気にはなれずにいたのですが、私も刺激を受けて練習を始めました。

「どの曲をやろうか?やるとすればベートーベンだなぁ。」なんて思いながら、ほとんど取り出してみることのなかった一冊の楽譜を手に取りました。

これにしよう!

毎年、年末に大阪で行われる「サントリー 1万人の第九」のピアノ伴奏の楽譜!
フルオーケストラで演奏される第4楽章すべてがピアノソロにアレンジされています。

大阪にいた頃、そのコンサートの一般参加に応募しときにもらった非売品の貴重な楽譜でずっと大切にしていました。(練習に通うのが面倒になったので本番は出ていません。)

ベートーベンの魅力

ベートーベンと聞いて何を連想しますか?
その肖像画などから、きっと激しい性格、その音楽も激しく重たいというイメージがあるかもしれませんね。

私はそう思っていました。『悲愴』というピアノ曲がありますが、第1楽章はそのタイトルを表すかのように不協和音から始まります。それとは一変して情緒的な第2楽章の練習に入ったとき、ピアノの先生が、「ベートーベンの曲は、激しくてもそのなかに歌うようなメロディがかならずある。」という話をしてくれました。この第2楽章はテレビなどでも使われているので、知っている人も多いと思います。

もうひとり、ベートーベンの魅力を教えてくれたのはホルン奏者だった短大の音楽の先生でした。

「交響曲第5番『運命』の、ジャ ジャ ジャ ジャーン は、運命があなたの人生の扉をノックしている音なんですよ~。」とか。

交響曲第9番『喜びの歌』第4楽章では、
「有名なメロディが出てくる直前に、「ねぇ、こういうのはどう?」とそのフレーズを遠慮がちに弱く優しい音で少しだけ(4小節分)奏でます。が、それを遮るかのように別の楽器が強い音で「いやいや、ちがう!」という具合に別のメロディを奏でます。

そのあと話がついたのか、一番低いコントラバスとチェロが静寂の中、歌うようにあのメロディを奏で始めます。
そして次はビオラがメロディを歌います。
その後バイオリンが登場し、弦楽器群が一同に介します。
さらに木管楽器や金管楽器が加わり最高潮に!」(最も有名な合唱はこの後しばらくしてから登場します)

CDをかけながらそのように楽しく解説されるのをきいて、私はベートーベンと第九に夢中になりました。メインの楽器が入れ替わりながら同じメロディーが4巡もしますが、低音から高音へとハーモニーが重なっていくプロセスは何度聞いても鳥肌ものです。その頃からベートーベンに関する本を読んだり映画を見たり、もちろん第九のCDとオーケストラのフルスコア(楽譜)も買ったりしました。1時間くらいある交響曲を最初から最後まで聴ける唯一の曲です。

とはいえ、私はただそのメロディが好きなだけで、専門的な分析や評価うんぬんにはまったく興味がありません。ドイツ語には興味をもってラジオ講座をきいたり、ドイツ人が集まる交流会などに行きましたが、語学学習は苦手なのですぐに挫折しました。

怒られないとやらない子

 こんなに大好きな曲で楽譜も入手したのに、弾こうとしませんでした。当時ならある程度集中して練習すれば弾けるようになっていたと思います。

なぜ弾かなかったのかというと、練習しなければならない状況ではなかったからです。その頃はもう働いていたのでピアノ教室には通っていませんでした。

練習なんて面倒なことはしたくなかったのです。私にとって長い間ピアノの練習は「弾けないと先生に怒られるから」していただけです。

小学生の頃は習わされているだけの感覚でした。唯一、『エリーゼのために』は、弾けるようになりたい一心で猛練習したのを覚えています。しかし、先生について習っている期間に弾いてきた多くの曲は、先生から提示されたものでした。自分からこの曲を弾きたいといって取り組めたのはわずか数曲で、他の曲は難易度が高いからとか、練習するには簡単すぎるとかで却下されました。

先生にとっては、習いにくる生徒の技術を上達させることが目的だったのかもしれません。月謝をもらう側の責任というのもあったと思います。

こちらとしては弾きたいわけでもない曲をやらされるのですが、弾けないと怒られる → 怒られるから練習する→上達するという構図がインプットされてしまいました。

なので、先日、第九を練習し始めて何回やっても弾けない難所(山ほどあります!)に出くわしたとき、「怒ってくれる人がいるなら必死に練習するのになぁ」と夫に話していました。

するとなにげなく、「いっぱい怖い思いしてきたんだね~」と言われました。

その言葉をきいて、心の中に温かい泉がわいたような不思議な感覚になりました。

あぁ、そうだ。
私はいつも怖かった。
いつも父が怖かった。
いつもピアノの先生が怖かった。

怖い思いをしながら過ごすのは私にとってあまりにも普通すぎることでした。

さよなら 支配親 の記事で、父と姉の顔がいつも浮かんでいたことを書きましたが、実はこのピアノの先生の顔もよく浮かんでいました。この先生も「自分が世界の中心タイプ」且つ、親のような存在だったので、小さいころからの記憶の中で私に影響を与え続けていたんですね。

 怖かったけど…、本当は優しくしてほしかったけど…、「けど、厳しくされたおかげで今の私がある」という大人の思いが、私の内なる本心を覆い隠していたことに改めて気づきました。

夫の一言が心に落ちたとき、だから私は子どもにも恐怖を与えて何かをさせようとしてしまうのか・・・ということにはっきり気づきました。

本当は安心感を与えたいのに、怒る態度で接して恐怖を与えてしまうのです。自分の思いとは裏腹なことをしてしまうのです。もう本当、悲しいほどに情けないほどに自分が経験したパターンがこびりついてしまってるんですね。

怒って人を動かそうとする人たちに育てられた私は、怒られないとやらない人間になり、自分の子どものことも 私が怒らないとなんにもしない子だと思い込んでいました。だから何かをしてほしい時や、やめてほしい時は怒った言い方をしていました。

でも、違うんですね。私が怒らないなら、怒られなくてもやる子になるんでしょうね。

それからというもの、第九の練習にも身が入るようになってきました。たった1小節を指が覚えるまで何十回も繰り返すという地道な練習法は変わりませんが、その動機は変わりました。
怒られるからでもなく、上達するためでもありません。
気持ちよく弾けるようになりたい。それだけです。

20代の頃持っていたピアノはカナダへの渡航資金にするために売りました。帰国後に買った電子ピアノは北海道に住むと決めたときに大阪の友人に受け取ってもらいました。所有するピアノがなくなっても私はいつもピアノがあるところに導かれました。

そこを離れたときは、もう好きなときに弾けることはないかと思っていたのですが、少ししてからアップライトピアノのなかでは最もハイグレードで状態の良いものを無料でもらうことになりました。それが今のピアノです。

だからピアノを弾いて楽しむことは、神さまが私に与えてくださった喜びなんだろうなと思えるようになりました。「これを神さまのために用いなければ」という「~べき、~ねば」の枠からも解放されて、ただ楽しんでいます。はからずも『喜びの歌』を選んだことは神さまからのメッセージだったのかもしれません。

ピアノがあること、
弾く技術があること、
楽しむ心があること、
練習する時間があること、
ピアノを弾く環境を与え続けてくれた親と先生がいたこと、
そのひとつひとつが神様への感謝と賛美に変わります。(o^―^o)