シャロムの部屋

もうだいじょうぶ!「自分や子どもを責めてきた」ママたちへ。自己受容と聖書から子育てのヒントを得るコラム

弱さはそのまま残っていい

人は誰でも弱さを持っています。

お金に目がくらむ
権力に屈する
異性やギャンブルに溺れる
精神的に落ち込む
キレる
身体的な病

強がるのも見栄を張るのも、それは弱さの裏返し。

不完全な親に育てられた人間はみんな、大なり小なり「心の傷」を抱えています。

自覚する・しない、は別として。

「心の傷」にこだわることを嫌う人もいます。

そんなことを言うのは弱い人間だ、とか、過去は変えられないんだから、とか言って。

それはそれで、その人の言い分だから、ま、おいといて、と。

 

さて、「心の傷」はどこにつくかというと、その人がもっている弱さにつきます。

例えば疲れがたまったとき、胃が痛む人もいれば、頭が痛くなる人もいますよね。

耳鳴りがする人もいれば、眠れなくなる人もいるし、肌が荒れる人もいます。

同じものを同じ量だけ食べても、下痢する人もいれば、平気な人もいます。

人によって症状が違うのは、それぞれもっている弱い部分が異なるからです。

同じ親から生まれたきょうだいでも、私の姉はド近眼ですが私はめがね不要です。逆に、姉の肌は丈夫ですが、私はアトピーで皮膚が弱くすぐかゆくなります。

私の子どもでいえば、息子は1年を通して鼻水やくしゃみがでたり、便秘気味だったり、視力が落ちてメガネをかけていますが、娘にそういう症状はありません。が、心臓に穴が開いている先天性心室中隔欠損症です。

持って生まれた体質というのは自分の努力で改善したり、鍛えようとするのはむつかしいですよね。

あえていうなら、自分の弱い部分を把握して、負荷に耐えられるキャパを超えないように気をつけるくらいです。

 

心の傷も同じようなものなんですね。

同じ言葉や状況でも、傷つく人もいればそうでない人もいます。

腹が立つ人もいれば、そうでない人もいます。

うろたえる人もいれば、そうでない人もいます。

 

今回はその傷にどう向き合うかという話ではなく、傷というのは(向き合い続けるなら)いつか必ず癒えるものであって…、そしてその方法は様々あって…、でも、弱さはそのまま残るんだという話。

いや、むしろ残っていいんだという話です。

なぜなら、弱さが克服されること(私たちの内から弱さがなくなること)を、神さまは望んでおられないからです。

 

聖書にこういう話があります。

イエス・キリストの教えに回心したパウロは、神の恵みによってすばらしい啓示をいただきました。しかし、あまりにすばらしい体験をしたからこそ、パウロが思い上がらないように体にトゲ(何らかの痛み)が与えられました。

パウロはそのトゲをとり取り去ってくださいと三度願いました。

 

果たして、祈りは聞かれたのでしょうか。

パウロの願い通りになったでしょうか。

 

イエスの答えはこうでした。

 「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と。

 

それに続くパウロの決意はこうでした。

「ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。・・・なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。」(コリント人への手紙第二12:9-10)

 

聖書には、神様は人を神ご自身よりもわずかに劣るものとして創られたと書いています。(詩篇8:3-5)

この「わずか」という言葉がどれくらいの割合か、またどういう部分を示すかははっきり書かれていませんが、いずれにしてもわかることは、人間は不完全であるということ。それで「よし」とされているということ。

私はこの「神よりわずかに劣る部分」が、イエスが私たちの内から取り去らなかった「弱さ」なのだろうと解釈することにしました。

 

例えば、子どもが言うことを聞かなかったら腹が立ってしまうとします。

そのように感じて反応してしまう原因が、「子どもは親に従順であるべき」というルールを幼少期に押しつけられ、自分の意志が全く尊重されなかったとすれば、わが子がそのルールに従わなくてイライラするのは当然です。

そうだとすれば、尊重されなくて苦しかった、つらかった、惨めだったという傷ついた感情が癒されていく手立てはあります。

そして、癒されていくうちにすぐに怒ったりイライラしたりすることは減っていくでしょう。

なぜなら、傷が癒されていくなら「子どもは親に従順であるべき」という、枠をゆるめて、「子どもは親に従順であったほうがいいと思うけど、子どもだって親に従いたくないときもあるよね」と、いう考え方を許容できるようになるからです。

しかし、もっとラクになりたいがために、ここで終わらず、「子どもは親に従順であったほうがいい」という考えそのものを消去しようしてしまう人がいます。こうなると苦しくなりますよ。(私は自分がここで苦しんでいたことに気づきませんでした)

理論上は、そもそもそういうルールがなければ、自分自身傷つけられることもなかっただろうし、腹が立って子どもを傷つけたりして苦しむこともありませんからね。

特に「白黒思考」や、「0か100か思考」の人は、ふりこが極端に振れやすいので、そのルール自体を捨ててしまいたくなるのだろうと思います。

しかし、子どもが親に従順であることは決して悪いことではありません。

で、私はといえば、傷も癒えてきて、言うことを聞かない子どもの態度を少しずつ受け入れるようになってはきましたが、根本的にというか、本心は、「親の言うことを聞かないって、アンタどういうことよ!?」っていう気持ちは残っているし、実際、気になります。

気になってしまうのが自分の弱さだとすれば、それはそのままでおいといていいということです。

 

私は長い間、弱さを克服することや、過去の痛みを乗り越えることが成長だと思ってきました。

しかし、成長というのがあるのだとすれば、「弱さ」を通して、人としての幅が広がることなのではないかと思うようになってきました。

「弱さ」があることによって、謙虚になったり、感謝したり、相手を尊重できたり、頼ったり頼られたり…。

一言で言うと、人は一人では生きられないことに気づくことなのかもしれませんね。

(注)ここに書いている内容は私の個人的な考えです。個々の信仰の解釈と合致するとは限らないことをご了承くださいませ。