シャロムの部屋

もうだいじょうぶ!「自分や子どもを責めてきた」ママたちへ。自己受容と聖書から子育てのヒントを得るコラム

ゆるめることがゆるすこと

共通項は愛される存在

新聞を手にしたら必ず読むところ、ありますか?私は1~3面下部にある書籍や雑誌の広告欄にまず目が行きます。ここを見れば、何が話題になっているのかが一目でわかります。

さて、先日は大々的に自己肯定感に関する本の広告が載っていました。そういう本が売れるということ自体、自己肯定感がない人が多いってことなんでしょうか…?

自己肯定感や自己受容感があればなんでもできる、ということがそれ系の本にはよく書いています。心理学者や心理カウンセラーが提唱していますが、読めば読むほど、そんなことすでに聖書で神さまが大昔から言ってるよ(なのに、なんで私は気づかなかったんだ?)と思うのです。

自己肯定・自己受容と、聖書に書いてあるところの共通項は「『愛される存在』なる私」だと思います。一般的には「自分で自分を愛する」、聖書では「神さまが私を愛してる」ってことですね。

ゆるめてホッ

そして、私は最近、「愛されること」と「ゆるされること」このふたつが人としての根本的なニーズなのではないかなと考えています。

何かを許可されることもさることながら、過去に犯したあやまちを人はみんなゆるしてほしいと思っているのではないでしょうか。漢字で書けば「赦し」、すなわち赦免ですね。大なり小なりあの過失はなかったことにしてほしい…という願いが人にはあると思います。

「ゆるしてもらおうなんて思ってない」と言う人もいますが、それは自分で自分をゆるしてないから、または、ゆるさないと言われることがこわいからそうやって自分を守っているだけで、本音はゆるしてほしいんだと思います。

「許す」も「赦す」も、「緩(ゆる)し /  緩ふ(ゆらう)」と同源。鎖で縛られているいろんなものがほどけていく様子がイメージできますよね。鎖がほどかれてホッ・・・って感じ。

鎖を持ってる私の手をゆるめたら、心の中にいる「あの人」も「この人」ホッとするんでしょうね。ゆるめてみよう…かな~ヽ(´∀`)ノ⌒♪

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